top of page

わかった気になる!!日本史 大正時代編

 

 


大正時代は第一次世界大戦が勃発し、世界が大きく変わっていった時代でもあります。

ヨーロッパが主戦場でしたが日本もこの戦争に一役買いました。また、日本国内では大正デモクラシーと呼ばれる民主主義的思想が流行り、桂内閣が倒れたりしました。

 

 

 

 


日本
第一次世界大戦を利用して日本の地位を高めようとする。そしてアジアの一等国へ。

中国(中華民国)
『辛亥(しんがい)革命』が起こり『清』から『中華民国』へ。

アメリカ
第一次世界大戦後の世界の主導権を握るべくして今日も奔走(ほんそう)。

明治の末期から大正の初期にかけて、中国では『辛亥(しんがい)革命』がおこり『清』が倒れ『中華民国』が誕生しました。

そして同じころ日本では[桂太郎]と[西園寺(さいおんじ)公(きん)望(もち)]が交代で政治をやっていました。いわゆる『桂(けい)園(えん)時代(じだい)』です。

大正初期には第二次西園寺(さいおんじ)内閣が成立していました。

日本「もう陸軍ったら!!中国の反日運動を鎮圧するために軍拡ですって??『日露戦争』でお金を使い切ったんだから、そんな余裕ないわよ!!」

と、政府は緊縮(きんしゅく)財政(ざいせい)を取っていました。しかし、それにキレた陸軍は陸相を辞任させ、代わりの大臣を出さなかったのです。

日本「おのれ陸軍め…『軍部(ぐんぶ)大臣(だいじん)現役(げんえき)武(ぶ)官制(かんせい)』を盾にして…こうなっては総辞職するほかないわね。」

『軍部(ぐんぶ)大臣(だいじん)現役(げんえき)武(ぶ)官制(かんせい)』とはたとえば陸軍の大臣には現役の陸軍の人しかなってはいけない制度のこと。これを利用して陸軍は代わりの大臣を出さなかった。だから内閣に陸軍大臣がいないので総辞職するしかなくなったというわけだ。

日本「『桂(けい)園(えん)時代(じだい)』ですからね。次の総理大臣はやっぱり[桂太郎]しかいないわね。」

というわけで、[桂太郎]が総理大臣になりました。しかし…

国民「てかまた長州藩のやつかよ…いつまで『藩閥(はんばつ)政治』を続けてるつもりだ!!せっかく国会が開いたってのに『政党』の意味がないじゃないか!!もっと憲法に則(のっと)った政治をしろよ!!」

ということで[尾崎(おざき)行(ゆき)雄(お)][犬養(いぬかい)毅(つよし)]らを筆頭に『閥族(ばつぞく)打破(だは)・憲政(けんせい)擁護(ようご)』を唱え『第一次護憲(ごけん)運動』が起こりました。

日本「うぅ…こうもみんなに反対されたら何もできないわ…総辞職よ。」

ということで、第三次桂内閣は50日程度で倒れてしまいました。

そして、この『護憲(ごけん)運動(うんどう)』によって第三次桂内閣が倒されたことを『大正(たいしょう)政変(せいへん)』と言います。

この後、海軍出身である[山本(やまもと)権兵衛(ごんべえ)]が首相になり、『軍部(ぐんぶ)大臣(だいじん)現役(げんえき)武(ぶ)官制(かんせい)』を改めたり、『政党』の影響力を強めようとしました。ところが…

日本「『シーメンス事件』のせいで辞職する羽目に…」

海軍高官がドイツのシーメンス社に賄賂(わいろ)をもらったとして問題になりました。この事件を『シーメンス事件』と言います。海軍出身だった[山本(やまもと)権兵衛(ごんべえ)]の責任問題になり総辞職しました。

そして、しばらくしてヨーロッパで第一次世界大戦が始まりました。ドイツ、オーストリアなどからなる『同盟国』とイギリス、フランスなどからなる『連合国』との戦いです。

日本「ヨーロッパに目が向いているうちに着実に力をつけていくわよ!!とりあえず『日英同盟』を口実に戦争に参加して、中国(中華民国)にいるドイツ軍を打ち払うわよ!!」

こうして、ドイツ領であった『青島(ちんたお)』や『南洋諸島』などを占領した日本。

日本「それらの土地はどうするかって??当然戦争して日本が勝ったんだから日本のものよ!!」

中国「何言ってるアルか??もともと我の領土アルよ!!こんな理不尽がまかり通るわけないアル!!」

というわけで、中国(中華民国)はこのことを世界に訴えかけましたが、世界は第一次世界大戦中なので、そんな意見を聞いている暇がなく、さらに、日本は『対華二十一か条要求』を突きつけました。

日本「中国はしぶしぶ認めたみたいね…まぁこれで中国にあったドイツ領は日本の領土に移ったってことね。」

また、第一次世界大戦中に『ロシア革命』が起き『ロシア帝国』から『ソビエト連邦』になり世界で初めての『社会主義国家』が誕生しました。

『社会主義』というのは、

国民「資本家ばっかりもうけやがって!!労働者にも平等に富を分けろ!!」から発展してし、

国民「てか、個人でやるからこんなことになるんだよ。最初から国がきちんと給料を決めたり作るものを決めれば、みんな平等になれるじゃん!!そうし

ようよ。」と言って、みんな平等になるような社会のシステムのことだ。

そしてこの『社会主義』という思想は他の国の脅威になりました。

日本「日本の近くで、革命が起こって政府が転覆されちゃったのよ!!この余波が日本に来て『社会主義運動』なんか起こってしまったら日本は大変なことになるわ…何とかしないと!!」

このような考えを他の国(アメリカ・イギリス・フランス・イタリアなど)も思っていたので、社会主義を潰そうと『シベリア出兵』を行いました。

日本「まぁ社会主義をぶっ潰すって言うのは、世間体(せけんてい)が悪いから『チェコスロバキア軍救出』を一応の理由にしようかしら。あと、ついでに占領して傀儡(かいらい)政権でも作りたいわね。」

と、領土的野心を丸出しにしながらシベリアに出兵したのであった。

さて、この『シベリア出兵』のとき日本国内ではどうなっていたのだろうか。

商人「日本は軍隊をシベリアに派遣するのか…ということは軍隊で食料である『米』が必要になるはずだ。今のうちに『米』を買い占めておいて、値段が上がったところで売り払ってやろう。こうすれば大儲けだ。『米』は必需品(ひつじゅひん)で買わないわけにはいかないからな。」

米じゃなくてもそうだが、品物が少なくなれば値段が上がる。商人はそこに目を付けた。

『シベリア出兵』で軍が『米』を持っていく→『米』が品薄になる→それを予見して先に『米』を買い占めておく→『米』が品薄になる→『米』の値段が上がる→『米』の値段が上がったところで売り払う→大儲け。というシナリオなのである。

国民「な、なんだ!?『米』の値段が高騰してる…これじゃ『米』が買えないじゃん!!でも、待てよ。本当に『米』がなくなったのか??米屋に行ったら倉庫にいっぱいお米があったぞ!!もしかしたら『出し惜しみ』してるんじゃないか??だとしたら許せねえ!!」

ということで富山県で『米(こめ)騒動(そうどう)』が起きました。これが全国的に広がり、とうとう政府は軍隊を出してこれを鎮圧しました。

日本「うぅ…民衆の力ってのはバカにならないものなのね…次の総理大臣はそういうこと考えないと…」

というわけで、次の総理大臣は『平民(へいみん)宰相(さいしょう)』と呼ばれた『原敬(はらたかし)』になりました。

日本「閣僚を政党から選びましょう。本格的な『政党内閣』にするわ!!」

首相の『原敬(はらたかし)』は『華族(かぞく)』(爵位(しゃくい)を持つもの)ではなく、藩閥(はんばつ)にも無関係だったので『平民(へいみん)宰相(さいしょう)』と呼ばれました。

ドイツ「もうこれ以上は戦えん!!」

ということになったので『第一次世界大戦』は終わりました。

日本「朝鮮や中国(中華民国)で反日デモが起こってるわね…日本なめんじゃないわよ!!」

というわけでこれらのデモを弾圧しました。

日本「選挙法を改正して、より多くの人が選挙に行けるようにするわね!!」

というわけで、直接国税10円以上から3円以上に引き下げました。しかし…

国民「人口比で行っても2.2%から5.5%に上がっただけじゃん。期待したほどじゃないな…それよりも『普通選挙法』にしてくれよ!!」

日本「うるさいわね!!そんなのまだ時期(じき)尚早(しょうそう)よ!!」

国民「ちっ!!『平民(へいみん)宰相(さいしょう)』のくせに平民のこと全然わかってないじゃないか!!」

こうして国民と温度差が生じ始め、国民の怒りが頂点に達し『原敬(はらたかし)』は東京駅で暗殺されました。

一方、第一次世界大戦が終わり、『パリ講和会議』の結果として『ヴェルサイユ条約』が締結(ていけつ)されました。また、アメリカの提案で『国際連盟』が発足。日本は常任理事国に選ばれました。

また、『ヴェルサイユ条約』によってヨーロッパに新しい国際秩序が成立しました。

このことを『ヴェルサイユ体制』と言います。

しかし、言い出しっぺのアメリカが「ヨーロッパのことに関わるのや~めた!!」と言ったのでアメリカは『国際連盟』に加盟しませんでした。

ヨーロッパのことは『ヴェルサイユ体制』で決まったので、次はアジアの国際秩序を確立するため、アメリカが各国を呼び出して『ワシントン会議』を開きました。

アメリカ「『日英同盟』っていうのは実際のところかなり厄介だ…それに放っておいたら日本はますます中国に進出して力を伸ばすだろう…イギリスは落ち目だから次は俺が国際社会の主導権を握るんだ!!」

日本「戦争でお金を使いすぎたわね…財政が破たんしそうだから、これからは軍縮に向かいたいのだけれど。あと、国際関係も大事ね。この際だからアメリカと仲良くしようかしら。」

アメリカ「これからのアジア太平洋は日本・アメリカ・イギリス・フランスで見守っていこうじゃないの。あと、軍拡ばっかりでお互いお金ないんでしょ??これからは軍縮しましょうよ!!」

日本「そうね…軍縮の流れは歓迎よ。これからは国際社会を尊重しながら行動するわ!!」

というわけで『四カ国(よんかこく)条約(じょうやく)』が結ばれました。このことによって日本が躍進する原動力となった『日英同盟』は破棄されました。

さらにこの翌年には中国やイタリアなど5か国を加え、『九カ国条約』が結ばれ中国(中華民国)の主権の尊重、門戸(もんこ)開放(かいほう)などが確認された。

門戸(もんこ)開放(かいほう)とは、経済活動をどの国に対しても平等に行うことです。

アメリカ「よし!!この『門戸開放』によってこのアメリカにも中国(中華民国)で経済活動が行えるようになったぜ!!今まではイギリスやら、他の国にいいところすべて持っていかれてたからな…それに『日英同盟』が解消されたのも美味しいぜ。これで日本の力は半減だな。」

さらに、『海軍軍縮条約』を結び、主力艦の建造を10年間中止することなどが決められました。

こうして、アメリカの思惑通りに事が進み、東アジアには『ワシントン体制』と呼ばれる新しい国際秩序が形成されたのだった。

そして、ほどなくして、『関東大震災』が起こる

日本「た、大変よ!!関東一帯が壊滅しちゃったわ!!」

『関東大震災』が発生し、死者、行方不明者の数は10万人以上となった。

日本「こんな時こそ政府の腕の見せ所よ!!震災復興にあたって東京の街を大幅に改良するわよ!!」

こうした、政府の努力もあったのだが、震災の混乱に乗じて『朝鮮人が暴徒化した』などのデマが流され、朝鮮人が殺害されたりもしました。

また、非合法で作られた日本共産党が革命を起こそうとしていたために、共産主義者など日本政府にとっての邪魔者も殺されました。

日本「そろそろ『普通選挙法』を導入しようかしら…」

ということで、25歳以上の男性は納税額に関係なく選挙権を与えられることになりました。

ただし、この『普通選挙法』は女性の参政権は認められていませんでした。

そして、同時に『治安維持法』も成立しました。

日本「これ以上共産主義者を増やすわけにはいかないわ!!確かに『ソ連』とは国交を結んだけど、日本に共産主義の思想は持ち込ませないわ!!」

『日ソ基本条約』によって国交が樹立したことによって、共産主義の活動がさかんになってしまうと考えた日本は対応策として『治安維持法』を成立させたのだ。

『治安維持法』とはロシアのように革命を起こすことや、そういう行為を促すような言論や運動を取り締まることです。

日本「『普通選挙法』で政治活動が活発になるのは目に見えているのでそれを阻止するために『治安維持法』を成立させたのよ」

しかし、この法が社会主義者だけでなく、後に自由主義者や民主主義者まで取り締まることになるのであった。



bottom of page