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わかった気になる!!日本史 昭和時代編1

 

 


いよいよ第二次世界大戦が始まります。日本の降伏までを見て行きます。

 

 

 

中国
『共産党』と『国民党』が中国の覇権を争っている。

日本
今までの戦争で勝ち続けているのでプライドが高くなっている。

昭和になった日本。『若槻(わかつき)礼次郎(れいじろう)』内閣の外相である『幣原(しではら)喜重郎(きじゅうろう)』などの活躍により、欧米諸国と仲良くして、中国に対しても不干渉の立場をとる『協調外交』を進めていました。

しかし、『田中(たなか)義一(ぎいち)』はそのことを『軟弱外交』と言って批判します。

田中「今の中国では『蒋介石(しょうかいせき)』が中国を統一しようとしている。そうすると、満州も奴らに取られるんじゃないか??そうさせないためにも日本は中国に打って出るべきなんだ!!不干渉とか言ってる場合じゃねぇよ!!」

そうして『若槻礼次郎』内閣の後に首相になった『田中義一』。積極的に中国に打って出る『田中外交』を行いました。

日本「『蒋介石(しょうかいせき)』の好きにはさせないぞ。そのためには満州で力を持っている『張作霖(ちょうさくりん)』を利用してやろう。」

関東軍「『張作霖(ちょうさくりん)』か…だんだん日本の言うことを聞かなくなってきたなぁ。ならもう用済みだ。消えてもらおう。」

ということで、『張作霖(ちょうさくりん)』を爆殺しました。しかし、このことが関東軍の仕業とばれたため、満州でこれ以上、権益を拡大することはできなくなった。

ちなみに『関東軍』の『関東』は日本の関東地方のことではなくて、『山(さん)海関(かいかん)』って言う場所の『東』にあったので『関東軍』と呼ばれています。

そしてこの頃から、『関東軍』は日本政府の指示を守らなくなっていきます。

日本「さすがに『張作霖(ちょうさくりん)』を爆殺したのはやりすぎたね…責任を取って首相を変えましょう。」

こうして新しい首相が誕生しますが、世界恐慌のあおりを受けて、経済政策を失敗したり、再び『協調外交』に戻った不満などから、首相が狙撃される事件が起こってしまい、『協調外交』は頓挫してしまうのでした。

 

 

協調外交が行き詰ったのと同じころに、中国の反日民族運動が激しくなっていきます。

そこで、関東軍は満州の制圧を企てました。

関東軍「鉄道に爆薬を仕掛けろ。列車が来たら爆発させるんだ。これを中国人のせいにして一気に満州を制圧するぞ!!」

日本「ちょ、ちょっと待て!!何してんだよ!!これ以上軍事行動をするのを辞めろ!!」

しかし、関東軍は政府の方針を無視。そして『石原莞(いしはらかん)爾(じ)』の活躍により満州全土を制圧しました。これを『満州事変』と言います。

関東軍「よし。日本の利益拡大のためには、ここに『満州国』を作ることが不可欠だ。」

ここに独立国を作ることによって、ソ連をけん制できること、朝鮮統治の安定、鉄や石炭などの資源があること、失業対策など、さまざまな効果があるとされました。

そして『満州国』を建国することになりました。

こうした中、軍部の急進派や右翼たちは政党や財閥などを敵視していきます。そして、財閥の人間や『犬養(いぬかい)毅(つよし)』を暗殺しました。そして『政党政治』は幕を下ろします。

また、国際関係では…

国際連盟「あのさぁ、日本さぁ、満州事変とかむちゃくちゃしてない??」

日本「い、いやぁ…知りませんなぁ。」

国際連盟「『リットン調査団』に調べてもらったんだけど、明らかに自作自演やろ??こんなことしてできた『満州国』なんか認められないよ」

日本「うるせー!!満州は日本の生命線なんだよ!!ここを取られたら日本は終わりじゃ」

国際連盟「ま、多数決の結果認められないって決まったからね。」

日本「ならそんな機関辞めてやるわい!!」

こうして国際連盟を脱退した日本。どんどん孤立化を歩んでいくことになります。

話は変わって国内の話。

陸軍の中で二つの派閥がありました。それが『皇道派(こうどうは)』と『統制派(とうせいは)』です。

皇道派(こうどうは)「天皇中心の政治をするべき。政党などがあるから天皇の政治が行えないのだ!!政治家たちを消すべし!!」

統制派(とうせいは)「政治や経済は軍を中心に考えてやってくれよ。なので政界や財界に近づきます。」

そして、この『皇道派(こうどうは)』によって『二・二六事件』が引き起こされるのである。

しかし、このクーデターは失敗。以降『統制派(とうせいは)』が実権を握ることになっていくのです。

統制派(とうせいは)「皇道派が自滅してくれたから軍は俺たちのものだぜ!!もちろん政治家さんは俺たちの言うことを聞いてくれるよな??まぁ嫌とか言ったら消すだけだからいいんだけど。」

こうして軍は政治家に圧力をかけ、軍を中心に物事は進んでいくことになります。

そして『盧(ろ)溝(こう)橋(きょう)事件(じけん)』で起きて、『日中戦争』がはじまりました。

この戦争中に中国国内では『共産党』と『国民党』という勢力がありました。
この二つの勢力が中国の覇権をめぐって争っていたのです。しかし…

共産党「もう内戦なんかしてる場合じゃなくね??」

国民党「そうだね。一緒に協力して日本を追い出そう!!」

ということになり、『抗日民族統一戦線』を作りました。

陸軍「ぐぬぬ。なんかすごい抵抗してきて、なかなか終わりそうにないな。」

日本「まさに泥沼。これじゃあ埒が明かないから、ドイツの仲介で停戦しましょう。」

こうして一旦はこの戦争は終わりかけましたが、陸軍の頑張りにより南京を制圧します。

 


日本「おや、南京を落としただって??なら和平なんかしなくてもいいや。って言うか中国が悪くない??アジアの平和を考えないで戦争ばっかりして。だからこんな中国政府なんてもう相手にしないよ。日本と分かりあえる真の中国政府が出来ないかなぁ…」

ということで、一度まとまりかけた和平を自ら断ち切り、戦争へと突き進んでいくのでした。

さらに、日本は『汪兆銘(おうちょうめい)』という人をトップに南京で新政権を立たせましたが、中国国民の信頼を得られず、日中戦争を終わらせることは、さらに難しくなりました。

日本「もともと短期決戦のつもりだったのに、全然戦争が終わらない。こうなったら国民全員が戦争に協力しなさい!!」

こうして『国家総動員法』が制定されました。

ドイツ「ズデーテン地方(チェコの一部)も併合したし他のところも併合しちゃおうっと」

フランス・イギリス「おい!!マジでいい加減にしろ!!」

ヨーロッパではドイツがポーランドを信仰したのをきっかけに、『第二次世界大戦』が起こります。

ドイツ「ずっと俺のターン!!」

戦争が始まるとフランスを落とし、連戦連勝のドイツ。

日本「これは!!勝ち馬に乗るチャンス!!さっそくドイツと同盟を結ぼう!!」

ということで、『日独伊三国軍事同盟』を結びます。

日本「でも、アメリカとはなるべく戦いたくないから交渉は続けるべきだな。」

こうして『太平洋戦争』が始まるまで日本はアメリカと交渉を続けるのでした。

 

 

交渉を続けていたもののアメリカが出す提案はとても日本に受け入れられる内容ではありませんでした。

日本「よし。もうこうなったらアメリカと戦争するしかないね。」

ということで、開戦を決定しました。

日本「まずは、艦隊が集まっている真珠湾を攻撃して戦況を有利に進めるぞ。」

そうして、奇襲攻撃を仕掛けた日本。その後アジア・太平洋各地で軍事行動を起こすのでした。

日本「資源がないなら奪えばいいじゃない。ってことで、東南アジアに進出。」

アメリカにより石油の輸入を止められていたので、資源を求めて東南アジアに進出。イギリスやオランダなどを蹴散らし、資源を確保しました。

日本「ここの資源は我々日本が使うのでよろしく。そして君たち原住民は日本のために労働していなさい。読み書きも日本語を使うように。」

ちなみに、日本が戦争をした大義名分は『大東亜(だいとうあ)共栄圏(きょうえいけん)』をつくるとういことでした。

『大東亜(だいとうあ)共栄圏(きょうえいけん)』とは、白人支配を退けて、日本を中心としたアジアが力を合わせて頑張ろう、といったところ。白人支配に苦しんでいたアジアの人たちは最初は日本軍を受け入れるのですが、労働力として戦争に協力させられたり、圧政を引かされたので原住民の不満は高まり、日本に反抗してくるようになります。

そして、ミッドウェー海戦で日本は暗号を解読されたこともあり惨敗。

この時から日本は負け続け、ヨーロッパではドイツが降伏。そして日本も原子爆弾を2発落とされて『ポツダム宣言』を受諾し、ようやく降伏しました。



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