top of page

わかった気になる!!日本史 安土・桃山時代編

戦国時代??まぁ最終的に織田信長と豊臣秀吉が上手いことやったんだよ。
今回の最初のほうは室町幕府のところと少し被(かぶ)ってます。

 

 

イエズス会…イ| ^o^ |
カトリックであるポルトガルの後押しを受けて世界中にキリスト教を布教していく…と見せかけて植民地にする。

安土・桃山…安(=゚ω゚)ノ 
戦国時代を制した織田信長と豊臣秀吉の時代。『織(しょく)豊(ほう)政権(せいけん)』ともいう。

 


日本史の話なんだけど、ここからはヨーロッパ人が日本に来るので、その説明を先にやります。

分かった気になる!!宗教改革とヨーロッパ人の来日

ローマ教会「サンピエトロ大聖堂の改築工事しなきゃならんけど、金が足りないな…」

そこでローマ教会は考えた。

ローマ教会「いいこと思いついた!!信者に『お守り』を買ってもらおう。その金を改築費用に回そう。」

ちなみにこの『お守り』のことを『免罪(めんざい)符(ふ)』という。まぁ早い話『免罪(めんざい)符(ふ)』買ってくれたらお祈りとかしなくても罪を赦(ゆる)しますよってこと。しかしこの考え方に異議を唱える者が現れた。それが『ルター』である。

ルター「おいおい…金払ったら救われるってどういうことや??人は信仰によってのみ救われるんだ!!だから聖書を見とけばいいの。聖書を見とけば。ローマ教会のいうことが全部正しい、なぁんてことはないんだよ。」

ルターのこのような主張を『聖書第一主義』といいます。まぁ平たく言えば原理主義みたいなものでしょうか…

ともかく、ルターは平然とローマ教会を批判しました。

そんなこんなで、ヨーロッパで『宗教改革』が起こります。

それで、「ローマ教会ふざけんな!!」ってことになって、『プロテスタント』が作られ、ローマ教会の『カトリック』の地位は下がっていきました。

ローマ教会「このままじゃやばいな…何とかして立て直さないと。そうだ!!ヨーロッパが駄目ならアジアで布教すればいいじゃない!!」

と考えた彼らは『イエズス会』を使いアジアでの信者を獲得していくことになる。

そして行き着いた先が日本だったのだ。

 

イ| ^o^ |「ようやく日本に到着です。では、布教を認めてもらうために各地のお偉いさんのところを訪ねてみますか。」

イエズス会と言えばザビエルですが、ザビエルはイエズス会の大幹部。なので、彼が直接一般人に布教するわけではありません。

じゃあ何したんだっていうと、そういうことが出来るように、布教の許可を得たり、特権を認めさせたりするのが彼の仕事だったんです。

イ| ^o^ |「日本で一番偉い人がいるって言うので京都にやってきたのですが…『応仁の乱』の影響で荒廃しきってますね。これではどうしようもないので、いったん九州、山口方面に帰りますか。」

そういうわけで、九州、山口方面のお偉いさん(守護大名)に会い、キリスト教を布教していったのです。

そして、キリスト教に入信したり、洗礼を受けた大名もおり『キリシタン大名』と呼ばれるようになりました。もちろん一般人もキリスト教に入信したりしました。

キリシタン大名「なんでキリスト教に入信したかって??そりゃポルトガルと貿易できるからよ!!なんか『キリシタン大名としか貿易しません。』とか言ってくるからキリシタン大名になっただけ。別に心からキリスト教を信じてたってわけでもないんだよ。」

で、このポルトガルとの貿易のことを『南蛮(なんばん)貿易(ぼうえき)』と言います。

こうして、イエズス会は信者を着々と増やしていきました。

 

 

その頃、織田信長は『桶(おけ)狭間(はざま)の戦い』で『今川(いまがわ)義元(よしもと)』を破ったり、延暦寺(えんりゃくじ)を焼き払い『一向宗(いっこうしゅう)』の信者を皆殺しにしたり、『足利(あしかが)義(よし)昭(あき)』を追放したり、『長篠(ながしの)の戦い』で武田軍を討ったりと、こっちはこっちで着々と、勢力を伸ばしていました。

安(=゚ω゚)ノ「この安土(あづち)の街を復興させるぞ!!その政策として『楽市・楽座』を行うぞ。」

座という商人の組合みたいなのがあって、その組合があると商人の新規参入は出来ない制度となっていました。そんで、商品を高く売り付けていて、その組合だけが儲かっていました。

で、『楽市・楽座』はその組合を無くすことを意味して、『楽市・楽座』することによって、他では座があるため商売できない商人が集まり、さらに安いものがあるということで買う人が集まり領土の活気がよくなる…ってことです。

安(=゚ω゚)ノ「よしよし。この政策のおかげで自由競争になり、物価が下がってきたな。これで、町は住みやすくなるし、常備軍の経費も安くなるし…やったぜ!!」

織田信長は他にも、キリスト教を保護したりしています。これは、先と同じ理由で貿易のことを考えてのことです。

安(=゚ω゚)ノ「やっぱり部下は優秀な奴に限るな。家柄なんて関係ないぜ。」

ということで、農民だった『豊臣秀吉』や浪人(ろうにん)(無職の人)だった『明智光秀』を登用します。しかし…『本能寺の変』によって織田信長は明智光秀によって討たれてしまいました。

安(#゚ω゚)ノ「おのれ明智め!!主君の敵を討たせてもらうぞ!!」

ってことで、豊臣秀吉が『山崎の戦い』で明智光秀を討ちました。

ここから、豊臣秀吉の時代がやってきます。

しかし、年代の関係上、ここでちょっとキリスト教の話へ…

豊臣秀吉が天下を取る少し前、九州ではキリシタン大名が『天(てん)正(しょう)少年使節団』を送ります。

イ| ^o^ |「この『天(てん)正(しょう)少年使節団』をローマ教会に連れて行こう。そうすれば『カトリック』の地位が上がること間違いなし。」

つまり、極東から使者が来る→世界中で『カトリック』の教えが広まっている→『プロテスタント』にそういうことが出来るか??→出来ねーだろ。ざまぁみろ!!ってこと。

まぁ『カトリック』の広告塔としたかったんだね。そんなこんなで、ヨーロッパで歓迎を受けていました。その頃豊臣秀吉は…

安(=゚ω゚)ノ「まずは『関白』になって、公家との繋がりを強化しよう。」

その結果、『太政(だいじょう)大臣(だいじん)』に任命されました。

安(#゚ω゚)ノ「俺に刃向うものがいるなら全国どこへでも行って成敗してくれるわ!!」

ということで、九州を平定しに行きました。そんで、その帰りに…

安(;゚ω゚)ノ「おいおい、なんかキリスト教徒多すぎない??こいつらが『一向

宗』みたいに刃向ってきたら大変そうだな…それに、人身売買とかもしているようだし…」

そこで、豊臣秀吉は『バテレン追放令』を出します。

『バテレン』とは宣教師のことで、この頃から、キリスト教を禁止するようになっていきました。

安(=゚ω゚)ノ「てか、よく考えたらこいつらだけじゃなくて他のやつも刃向ってくる可能性があるよな…ってことで、武器を回収します。農民は農民らしく畑でも耕しときな!!」

そんなこんなで、『刀狩(かたながり)』を実施し、天下統一を成し遂げました。



そんな天下を統一して間もなくして『天(てん)正(しょう)少年使節団』が帰国してきました。

安(#゚ω゚)ノ「キリスト教と関係あるものは駄目だ!!お前らどっか出ていけ!!」

豊臣秀吉が天下統一を果たした後なので、キリスト教は禁止されていました。

ですので、彼らは日本を追い出されたり、処刑されたりしました。

出国するときは織田信長がキリスト教を保護していたものの、帰国したときは豊臣秀吉がキリスト教を禁止していたので、こういう目にあってしまったのですね。

安(=゚ω゚)ノ「日本は統一したから、次は世界だ!!とりあえず中国(明)を攻めるから、道案内よろしくね朝鮮さん」

と言って朝鮮に道案内をさせようとしたところ、拒否されてしまいました。

安(#゚ω゚)ノ「あぁ!!ならてめぇから攻めてやるよ!!覚悟しとけや!!」

と言って始まったのが朝鮮出兵です。これを『文(ぶん)禄(ろく)の役(えき)』と言います。

で、なんだかんだあって講和を結んで、とりあえず戦いを終わらせます。

安(=゚ω゚)ノ「てか、日本中でバラバラな基準使っててもしょうがねぇだろうが!!だから俺が新しい基準を作ってやるから、それで田畑の面積求めてくれよ。そうしないと誰がどのくらい土地を持っているのか分からんからな。」

こうして『太閤(たいこう)検地(けんち)』を行い、それぞれがどのくらい年貢を納められるか計算した。また、この検地と刀狩によって身分の区別がはっきり決まった。つまり『兵農分離』が起こったのだ。

安(#゚ω゚)ノ「なんとしてでも、朝鮮を倒すぞ!!もう一回出陣じゃ!!」

と言ってもう一回朝鮮に攻め込みました。これを『慶長(けいちょう)の役(えき)』と言います。しかし、士気は高くなく、豊臣秀吉が死んでしまったために撤退しました。

その後、日本では豊臣秀吉の後釜を狙って『関ヶ原の戦い』が起こります。

bottom of page