わかった気になる!!日本史 昭和時代編2
日本の戦後復興を見て行きましょう。
日本
太平洋戦争でボロボロになった。まずは経済復興。あと、周りの国に、「ごめんなさい」しないといけないよね。
GHQ
マッカーサーを司令官として日本の統治をしていく。
アメリカ「ようやく日本が降伏したか。よし、日本を民主化させよう。」
そこでGHQを日本において改革を始めました。
GHQ「とりあえず戦争責任者は処罰ね。」
『東条英機』や『広田(ひろた)弘(こう)毅(き)』など、戦争を指揮していた人たちが処刑になりました。
GHQ「女性にも参政権を与えよう。それに『農地改革』と『財閥解体』を行うよ。」
『農地改革』とは、それまで、地主が小作人に土地を貸してその土地代を小作人が払うというシステムだったのですが、国が土地を買って小作人の人たちに土地を与え、民主化させました。
『財閥解体』とは、財閥が日本の軍事行動を支援したとして解体させられたことです。
GHQ「よし、じゃあ次は憲法作るぞ。ゆっくり時間をかけて作りたいが、他の国々が『天皇』の戦争責任を追及しそうだな。グズグズしてる暇はない。さっさと作るぞ!!」
こうしてわずか10日間で日本国憲法は出来上がってしまいました。それもアメリカの手によって。
1950年には朝鮮戦争が勃発して、『朝鮮特需』が起きます。これが戦後不況にあえいでいた日本を救うことになりました。
また、1951年に日本は『サンフランシスコ平和条約』を結び独立を回復。同じ年に『日米安全保障条約』を結びました。
日本「これからの日本は軍事費を抑えて経済のほうにお金を使うようにしよう。」
そのころ日本の政界では、日本社会党の右派と左派が統一して、大きな勢力となりました。これをみて焦った保守派の自由党と日本民主党が保守合同を果たし、『自由民主党』が誕生しました。
この年が1955年だったので、日本社会党と自由民主党の二大政党制になったことを『55年体制』といます。
1960年に日米安全保障条約を無理やり改定したため『安保闘争』が起きます。
在日アメリカ軍などの駐留を引き続き認めることや、日本を米軍が守る代わりに、在日米軍への攻撃に対しても自衛隊と在日米軍が共同で防衛行動を行うことなど書かれていたことから、日本が戦争に巻き込まれるのでは、と恐れた人たちが反対運動を起こして今した。
岸信介「この条約は50年後にはきっと評価されるよ。」
と当時首相だった『岸信介』はそう言って総理を辞任しました。
さぁ、50年たった今この日米安全保障条約についてみなさんはどう思いますか??
そして岸信介の跡を継いだのが『池田(いけだ)勇人(はやと)』でした。
池田勇人「私は10年でGNPを2倍にする『所得倍増計画』をやって見せます。」
と発言していました。野党に文句を言われた時も「わたしは嘘は申しません」と言って。この計画を進めていくことにしました。ちなみに約6年で達成しました。
また、1964年には東京でオリンピックが開かれることが決まったので、それに合わせて、高速道路や新幹線が作られることになりました。そうして日本の所得はぐんぐん伸びていくのでした。
池田勇人「GNPも世界2位。OECDにも入ったし、これで立派な先進国だ!!」
ということで、高度経済成長を迎えるのでした。ちなみにOECDとは先進国が集まって経済についての話し合いをすることです。
また、次の総理である『佐藤栄作』は『核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず』と言ってノーベル平和賞を取りました。
さらに、『日韓基本条約』を結び韓国との国交を回復させます。
佐藤栄作「沖縄の返還なくして戦後は終わらない!!」
として、アメリカから沖縄を返還させます。この時、日米で、貿易摩擦が起こっていて特に『繊維製品』が問題になっていました。そこで繊維製品の輸出を規制する代わりに沖縄を取り返したので『糸を売って縄を買う』と言われました。
また、この時一緒に『尖閣諸島』もアメリカから引き渡されました。
そして次に総理になるのが『田中角栄』です。
田中角栄はまず『日中共同声明』に調印し、中華人民共和国との国交回復を成し遂げます。ちなみに中華民国(台湾)からは、国交断絶されます。
田中角栄「日本列島を改造します。」
ということで、『日本列島改造論』を打ち出して政策に取り掛かります。
『日本列島改造論』とは、都市部の過密と地方の過疎を解消して、地方に高速道路や鉄道を作り、日本全国が均等に発展できるようにすることです。
こうして、公共事業をたくさん行い「改造論」を進めて行きました。
しかし、『金脈問題』があり総理を辞任します。
そして、昭和の政治家で外せないのが『中曽根(なかそね)康弘(やすひろ)』です。
中曽根康弘「戦後政治の総決算。吉田路線を考え直そう!!」
吉田路線とは防衛はアメリカに任して、経済を優先するという方針のことです。
中曽根康弘「今の日本は経済大国になったし、自分の国を守るのにアメリカに頼るのはどうかと思う。」
こうして、防衛費を増加させました。
また、経済面については、牛肉やオレンジを輸入自由化したり、国営企業の民営化を図り、小さな政府を目指しました。
ちなみにここで、民営化されたのは専売公社・国鉄・電電公社です。
また、アメリカの大統領『レーガン大統領』とは親密な関係で、『ロン・ヤス関係』と呼ばれていました。(ロナルド・レーガンと中曽根(なかそね)康弘(やすひろ)にかけて)