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わかった気になる!!日本史 鎌倉時代編

貴族に代わって武士が政治をする時代。時代が大きく変わった瞬間です

 

 

鎌倉幕府…鎌( ゚∀゚)

朝廷から権力をもぎ取った。江戸時代まで続く武士政権の始まりです。

鎌( ゚∀゚)「さぁこれから武士の世の中が始まるぞ!!色々改革して『イイクニ』目指して頑張ろうぜ!!」

ということで、1192年に『源頼朝(みなもとのよりとも)』は『征夷(せいい)大将軍(たいしょうぐん)』に任命されて、京都から離れた鎌倉(神奈川県)に幕府を開きました。さすがに、権力を奪った人たちがいる前で政治はできませんからね。(最近では1185年に鎌倉幕府が始まったとされています。)

鎌( ゚∀゚)「俺の家来になった武士には、色々と得をさせないとな!!」

この下線部の事を『御家人(ごけにん)』という。鎌倉時代はこの『将軍』と『御家人(ごけにん)』の結び付きが強かった。

鎌( ゚∀゚)「まず俺(将軍)が『御家人(ごけにん)』の土地を守ったり、与えたりしてあげる。その代わりに『御家人(ごけにん)』は俺がピンチなときには戦争に参加してね!!」

こうして『御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)』の関係が結ばれました。

鎌( ゚∀゚)「行政の方もしっかりしないとな。『御家人(ごけにん)』を統括する『侍所(さむらいどころ)』や一般の政務を行う『公文所(くもんじょ)』、裁判を行う『問注所(もんちゅうじょ)』を設置しとこう。あと、犯罪者を取り締まる『守護(しゅご)』と、土地の管理や年貢(ねんぐ)の取り立てをする『地頭(じとう)』も設置しておこう。」

と、さまざまな改革を行いました。また、『将軍』と『御家人(ごけにん)』の関係のような土地を通じた主従関係を『封建(ほうけん)制度(せいど)』と言います。

しかし、源家の3代将軍が暗殺されてしまうというハプニングが起こる。
この隙をついて『後(ご)鳥羽(とば)上皇(じょうこう)』は「政権を貴族の手に取り戻すぞ!!」とか言って反乱を起こしました。

鎌(#゚∀゚)「『御家人(ごけにん)』たちよ、皇族だからと言って怯む(ひるむ)でない!!今こそ『奉公(ほうこう)』のときぞ!!」

こうして、『承久(じょうきゅう)の乱(らん)』は幕府の勝利で幕を閉じました。

鎌(#゚∀゚)「こういうことが次にあったら困るな…朝廷を監視するぞ!!」

こうして、朝廷が反乱を起こさないように監視する『六波羅探題(ろくはらたんだい)』が置かれることになりました。

ちなみに、NO.1の地位だった『将軍』がいなくなったのでNO.2の地位だった『執権(しっけん)』が鎌倉幕府で権力を握ることになります。

鎌(;゚∀゚)「う~ん…土地問題に関する争いが多いなぁ…『将軍』と『御家人(ごけにん)』は『封建(ほうけん)制度(せいど)』で結びついているから土地問題を放っておいたらヤバいことになりそうだ…」

ということで、『北条(ほうじょう)泰(やす)時(とき)』によって日本初の武家法である『御成敗(ごせいばい)式目(しきもく)』が作られることになりました。

鎌( ゚∀゚)「曖昧だった裁判基準を改めて、成文化(せいぶんか)することによって公平な裁判が受けられるようになったぞ!!」

日本が武士の世の中を着々と築き上げているとき、モンゴルでは『チンギス・ハン』が勢力を伸ばしていました。そして、5代目の『フビライ・ハン』はとうとう日本に目をつけました。

元「どうだい日本さん。今なら俺たちの家来になることを許してやるよ??」

鎌( ゚∀゚)「………」

日本は無視しました。

元「何無視してんだよ!!せっかくこの俺が家来にしてやろうって言ってんだ!!ありがたく思いやがれ!!で、どうすんだ!!」

鎌( ゚∀゚)「………」

またしても、日本は無視しました。

元「よろしい、ならば戦争だ。」

こうして『文永(ぶんえい)の役(えき)』が起こります。日本は『いざ鎌倉!!』ってことで元と戦います。

日本は慣れない相手に苦戦しますが、暴風雨が元軍を襲い日本はなんとか侵略を免(まぬが)れました。

ちなみに、『御家人(ごけにん)』は自費で出兵しています。

元「ふむ、確かに先は運が悪かったが、今度はそうはいくか。もう一度日本に使者を送って日本を家来にするように説得してみよう。」

鎌(#゚∀゚)「あぁ!?元からの使者だぁ!?てめぇら負けた分際で家来になれとかふざけてんのか??絶対いやだね!!」

ということで、元からの使者を斬首してしまいます。『使者』が『死者』になったんですね。

元「よろしい、ならば戦争だ。」

となって、元が再び日本に攻めてきました。これが『弘安(こうあん)の役(えき)』です。

で、結果はご存じの通り、またしても暴風雨がきて侵略を免(まぬが)れました。この暴風雨のことを後に『カミカゼ』と呼ばれることになります。

鎌(;゚∀゚)「いやぁ元に勝ったは良いんだけど、『御家人(ごけにん)』にあげるご褒美どうしよう…国内の争いじゃないから、負けた相手から領土を奪えるわけじゃないし…」

ということで、土地を守ったり、与えたりするという『御恩(ごおん)』が少なかったのです。

前のページに書いたが『御家人(ごけにん)』は自費で出兵していたので、中には借金をして行った者もいる。そして、借金までして戦ったのに褒美がないってどういうことだ!!ふざけんな!!という声が次第に高まってきました。

鎌(;゚∀゚)「た、確かに…あと、土地の相続問題とかもあるし、お金に困ってるのは分かったよ。ということで、借金をチャラにしてあげます。」

借金をチャラにすることを『徳(とく)政令(せいれい)』と言います。てか借金がチャラとかマジ最高じゃね??

とか思ったんですが、実はここに大きな落とし穴が…

借金がチャラになったからと言って別に収入が増えるわけでもないので、結局はまた借金をしなければならなくなります。ところが金貸しからすると「借金踏み倒したやつに金なんか貸せるか!!」と言われます。そして、『御家人(ごけにん)』の生活はもっと苦しくなってしまったのです。

そういうことや、北条家が出しゃばっているのにイライラしていた他の武士たちが『後(ご)醍醐天皇(だいごてんのう)』に味方をして、鎌倉幕府を滅ぼしていきました。

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