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A「前回は大内氏の滅亡までやりました。今回は毛利氏からやっていきます。」
B「毛利元就が陶晴賢(すえはるかた)に勝利して周防と長門を手に入れたんだね。」
A「さらに近隣も攻略して一大勢力になります。そして時間は過ぎ『関ヶ原の戦い』が起きます。このときの西軍の大将は『毛利輝元』(てるもと)が就きました。」
B「西軍の大将って『石田光成』じゃないんだね。」
A「まぁ格が違うからね。しかし、このとき『毛利輝元』は実際に関ヶ原に行かず大阪城にいました。そして『関ヶ原の戦い』で敗北します。」
B「『関ヶ原の戦い』で負けたなら、その大将は当然処罰の対象だよね。『毛利家』は潰されちゃうのかな??」
A「そうはなりませんでした。なぜなら『関ヶ原の戦い』のときに毛利の家臣である『吉川広家』(きっかわひろいえ)が『徳川家康』と内通し、毛利勢は東軍と戦わなかったんです。」
B「なるほどね。」
A「しかし、戦いののち、『徳川家康』は周防と長門の2か国は『吉川広家』に治めさせようとします。」
B「まぁ実際功績があったのは吉川だしね。」
A「ですが、ここで『吉川広家』はこれを良しとせず、なんとか『徳川家康』にお願いして毛利家を存続させることに成功しました。」
B「これで周防と長門…というか『長州藩』は毛利家のものになったんだね。」
A「一方、毛利のはというと、関ヶ原で負けて100万石以上あった領地が30万石程度になってしまいました。このことから、毛利の中で吉川家は恨まれてしまいます。」
B「毛利家を救ってくれた恩人なのにね…」
A「こうして約100万石から約30万石になっていしまったのにもかかわらず、毛利は家臣を手放さなかったので経営は大変でした。」
B「だろうね。」
A「なので長州藩は『防長の四白』(よんぱく)と言われる『紙』『蝋』『塩』『米』(これが四白)の生産を推奨し財源の確保に努めました。」
B「農民は大変だったろうけどね。」
A「そして時代は過ぎ去ります。長州藩の藩主が3人連続で死ぬという恐ろしい事件の後、『毛利隆親』(たかちか)が藩主になります。」
B「幕末だね。」
A「『毛利隆親』は『村田清風』を起用し、長州藩の藩政改革が行われます。」
B「当時の家計は火の車だったそうだね。幕末ということは『吉田松陰』が『松下村塾』を作ったことでも有名だよね。」
A「まぁ彼の発言はけっこうコロコロ変わるし、かなり過激な発言もあったりして、塾生に止められたりもしてるんですけどね。とはいえ、『松下村塾』のメンバーは『伊藤博文』『高杉晋作』『久坂玄瑞』(くさかげんずい)『山縣有朋』(やまがたありとも)など、のちの日本を引っ張っていく面々がそろっていました。」
B「有名な人ばっかりだね」
A「『松下村塾』では各々の性格に沿い、個性を伸ばす教育方針だったそうです。また、学問をただの知識とすることなく実際に行動に移す。といったことも大きな特徴ですね。」
B「いい塾だ。長所を伸ばすって感じかな。」
A「しかし、いろいろ行動しすぎて幕府に目をつけられてしまったため、『安政の大獄』で処刑されてしましました。また彼の辞世の句は『身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』です。」
B「松陰先生の生き様が分かるよね。」
A「その後『吉田松陰』の攘夷思想を受け継ぎ『下関事件』や『四国艦隊下関砲撃事件』が起こり敗北。ここで外国から賠償金を請求されそうになりますが、『高杉晋作』によってうまく回避することに成功。しかしこの事件の後『攘夷』をあきらめることになります。」
B「やっぱり外国は強かったのね。」
A「また、同じときに『新撰組』が長州志士を殺害するという『池田屋事件』が起こり、このことから武力で朝廷を抑えるという『禁門の変』が起こりますが失敗。この事件で『久坂玄瑞』が死亡します。」
B「まぁ天皇を武力で拉致するってんだからそりゃ無理だろ。」
A「そしてこの事件の後『長州藩』は朝敵にされてしまいます。そしてこのことから『長州征伐』が行われることになります。」
B「幕府VS長州ってことかな。」
A「一回目の戦いは先ほど述べた『四国艦隊下関砲撃事件』もあり、幕府と戦争することなく降伏しました。そして長州藩は幕府に対して恭順する姿勢を打ち出します。」
B「まぁ負けたわけだしね。」
A「しかし、『高杉晋作』がこうした姿勢を示す『椋梨藤太』(むくなしとうた)を追い払い、また長州藩は過激な藩に戻りました。」
B「一貫した姿勢だね。」
A「そして『坂本竜馬』の仲介のもと『薩長同盟』が結ばれます。この同盟のおかげで2回目の長州征伐は何とか凌ぎました。また、この戦いで『大村益次郎』(おおむらますじろう)の軍改革のおかげでもありました。」
B「彼の構想がのちの徴兵制へとつながっていくんだよね。」
A「そして、明治政府を作り、日本の近代化に成功します。さらに『版籍奉還』『廃藩置県』によって今の山口県が誕生しました。」
B「なるほどね。」
A「その後も『伊藤博文』や『山形有朋』が総理になったり、長州閥の政治家が日本を動かしていくことになるのです。」
B「だから山口県の総理大臣が多いんだ。」
A「そういうことです。そんな感じで山口県の歴史は終わろうと思います。」
B「まだまだ山口県の魅力は伝えきれてないけど、歴史やロマンがある素敵な街ってことに気付いてほしいです。」
A「山口県の人も、そうでない人も、ここまでどうもありがとうございました。」
参考文献
あなたの知らない山口県の歴史 洋泉社
やまぐち史伝(下) 条例出版
ざっくり解説する山口県の歴史 その2
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