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A「意外と自分の街のことって知らないよね。」

 

B「山口だもん。なんもねーじゃん。」

 

A「山口には歴史があるよ。というわけで、山口県のざっくりした歴史を見ていくよ。」

 

B「山口県ねぇ…マジでなんかあるの??」

 

A「まず古代から。奈良時代辺りに『周防』(すおう)と『長門』(ながと)が置かれます。今の山口県の西側が『長門』で東側が『周防』という感じでありました。」

 

B「2国あったんだね。」

 

A「そして、『周防』に造幣局が置かれます。その場所は『鋳銭司』(すぜんじ)として山口市の地名として残っています。」

 

B「ここで『和同開珎』(わどうかいちん)とかを造っていたのね。」

 

A「月日は過ぎて、今度は平安末期。平氏が源氏に追われて西へ西へ逃げていました。そして最終決戦の地が『壇ノ浦』でした。」

 

B「『壇ノ浦』は下関だね。」

 

A「そして鎌倉時代に入ると『大内氏』が力を持ち始めることになります。」

 

B「『大内氏』っていまいち地味だよね。」

 

A「まぁ、受験で出ないしね。で、南北朝時代に入ると『大内弘世』(ひろよ)は『長門』を攻略して防長二か国を支配下に置きました。」

 

B「ふ~ん。」

 

A「また、弘世の子である『大内義弘』(よしひろ)の時代には西日本最大の大名になります。また南北朝の統一にも力を発揮し、『明徳の乱』という山名氏の反乱を鎮圧したりして、『足利義満』の目に留まりました。」

 

B「褒められたの??」

 

A「いや、逆。目をつけられた。」

 

B「なんで??」

 

A「だって、将軍より武力持ったら困るじゃん??というわけで、『応永の乱』で敗死します。」

 

B「どうなる『大内氏』!?」

 

A「こんなところではあきらめません。その後『大内盛見』(もりみ)が後を継ぎます。かつての勢いを取り戻すため、朝鮮と貿易を開始します。しかし、九州に手を出した時に『少弐氏』(しょうに)に敗れて討死します。」

 

B「そんで??」

 

A「その後の『大内持世』(もちよ)がその借りを返し、北九州を手に入れた。しかし、6代将軍の『足利義教』(よしのり)の暗殺事件である『嘉吉(かきつ)の乱』に巻き込まれて死亡。そしてその後『大内政弘』(まさひろ)が登場する。」

 

B「ふ~ん。」

 

A「『大内政弘』は自分の領域内で通じる法律である『分国法』を制定。これは『大内家壁書』と言われています。また日明貿易をめぐって『細川氏』と対立。そんな時に『応仁の乱』が起こりました。」

 

B「どっち側についたの??」

 

A「『応仁の乱』は事実上、東軍の『細川氏』と西軍の『山名氏』の戦いでした。なので必然的に『大内政弘』は『山名氏』の西軍へ着きました。『大内政弘』は強かったのですが、国許で反乱がおこったりしました。そこで家臣である『陶弘護』(すえひろもり)の活躍によって治まりました。」

 

B「『大内政弘』が京都に行っている間に山口のほうを乗っ取ろうとしたのね??」

 

A「そういうこと。その後『大内義興』(よしおき)のときには、北九州、中国地方の覇権を確立していました。しかし、このころから出雲の『尼子氏』(あまご)が侵攻してきて苦戦するようになります。そんななか『大内義隆』(よしたか)が後を継ぐことになりました。」

 

B「『大内義隆』か…」

 

A「『大内義隆』のときには『大内氏』の全盛期でもありました。『フランシスコ・ザビエル』とも会い、最終的にキリスト教の布教を認めたり、宣教師を保護したり、ほかには公家の面倒を見たりと、文化や芸術の保護にもあたっていました。」

 

B「そういうことをしていたから『大内文化』が栄えたのかもね。」

 

A「なので宣教師に『西の都』と言われるくらい大きな町になっていたのでした。」

 

B「めでたし、めでたし。第一部完。」

 

A「まだ終わらねーよ!!むしろここからクライマックスだろ!!芸術などは積極的だったのですが、戦いのほうはあまり得意ではないらしく、とうとう見切りをつけられ家臣の『陶晴賢』(すえはるかた)にクーデターを起こされ、自害しました。これを『大寧寺(だいねいじ)の変』と言います。」

 

B「この時代だから要するに下剋上ってこと??」

 

A「まぁそうとも言えるかも。このとき『陶晴賢』は自分がトップには立たず、代わりに『大内義長』(よしなが)を君主に立てます。」

 

B「一応『大内氏』を立てたんだ。」

 

A「まぁ傀儡(かいらい)ですけど。しかし、この後『厳島の戦い』で稀代の謀将と言われた『毛利元就』に討たれ、『大内氏』は滅亡します。」

 

B「おぉ!!ここでようやく知った名前が出てきたぞ!!」

 

A「知った名前が出てきたところで今回はこの辺で終わります。ちなみに『厳島の戦い』のときも謀将っぷりを発揮しています。(謀将とは計略が優れた将のこと)」

 

B「今回は『大内氏』までです。また次回!!」

 

A「陶弘護(すえひろもり)が大内氏を救ったのに対し、その孫である陶晴賢(すえはるかた)が大内氏を滅ぼしたってところが歴史を感じるよねぇ。」

 

 

参考文献

あなたの知らない山口県の歴史 陽泉社

やまぐち史伝(上) 条例出版 

 

 

ざっくり解説する山口県の歴史 その1

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