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フォークランド紛争について

1982年にイギリスとアルゼンチンがフォークランド諸島の領有をめぐって争った戦いです。

結構最近のことなのですが、いまいちメジャーじゃない紛争です。

A「アルゼンチンでイギリスへの抗議デモが起こったみたいだね。」

B「アルゼンチンとイギリスって仲悪いんだ。」

A「悪いよ。なんでだか知ってる??」

B「分かった!!『マラドーナ』が『イングランド』(イギリスの中の一つの国)相手に『神の手ゴール』や『5人抜きゴール』をやったから!!」

A「そんな単純なもんじゃねーよ!!まぁ、でも少しくらいはこの紛争とも関係あるけどね…」

B「ふ~ん。」

A「というわけで、当時のそれぞれの情勢を見て行こう」

アルゼンチン

1950年代『フアン・ペロン』という大統領がいましたが、軍によってクーデターが起こってしまいました。

軍「『ぺロニスタ』(ペロンの支持者)どもを炙(あぶ)り出せ!!徹底的に弾圧するぞ!!」

この出来事を『汚い戦争』と言い、8,000人から30,000人が殺されたという。

そしてこの混乱の中、1981年に大統領に就任したのが『ガルチェリ』でした。

ガルチェリ「政治が混乱してるから経済もやばい…インフレが止まらないぜ。まぁとか言いながら『汚い戦争』を指揮したのは他でもない私なんだが…」

ガルチェリ「とにかく、このままではマズイ。何とか国民の目を逸(そ)らさせないと!!」

そこで、『ガルチェリ』が目をつけたのが、イギリスと領有権を争っていた『フォークランド諸島』でした。

そして、イギリスが支配していた『フォークランド諸島』に攻め入るのでした。

A「アルゼンチンの情勢はざっとこんなもんかな…」

B「てか、紛争の原因は結局何なん??」

A「分かりやすく言うと、アルゼンチン側の主張は『トリデシリャス条約』のスペインの権益を受け継いだってこと。」

B「意味が分からない。」

A「『トリデシリャス条約』とは1494年ポルトガルとスペインで交わされた条約で西経46度37分(だいたいブラジルを掠(かす)ってるくらいの経線)より東側の領土をポルトガル、西側の領土をスペインのものにするっていう条約だよ。」


B「ふ~ん…てかその条約地球が丸いんだから意味なくね??」

A「そう。だから『サラゴサ条約』ってのも出来る。東経144度30分(日本が分断されてる経線と思ってください)に引かれたんだ。まぁ世界史やってたら出てくるので、詳しくはそこで習ってください!!」

B「つまり…どういうことだ??」

A「アルゼンチンはスペインに支配されてたがその後独立。その時にスペイン領だったフォークランド諸島もアルゼンチンのものになったって主張。」

B「なるほどね。」

A「イギリスの情勢も見て行こうか。」

 

 

イギリス

1979年に『鉄の女』と呼ばれた『サッチャー』がイギリス史上初の女性の首相となりました。

サッチャー「『イギリス病』を治すためにも『小さな政府』を目指すわよ!!失業??倒産??そんなの知ったこっちゃないわ!!イギリスの財政健全化のほうが先よ!!」

こうして、『国有企業の民営化』や『社会保障費の削減』、『公務員の削減』などを行った。

そこに、アルゼンチンが『フォークランド諸島』を攻めたとの知らせが入ってきた。

サッチャー「女王陛下の領土に土足で踏み入れるとは何事!!すぐに奪回するわよ!!」

こうして『フォークランド紛争』は起こったのだった。


A「イギリスについてはこんな感じかな。」

B「『鉄の女』と『イギリス病』って何??」

A「当時イギリスは、充実しすぎた(・・・・)社会保障制度や産業の国有化によって、国民の勤労欲が低下していたんだ。そうすると経済は停滞してくるので、不況になりました。その状態を病気であると皮肉って言ったのが『イギリス病』だ。」

A「『鉄の女』って言うのは、財政再建には、血も涙もないって感じのやり方だったので、そう呼ばれている。」

B「ふ~ん…」

A「まぁこうして紛争は始まったわけだ。」

 

アルゼンチン「とりあえず『フォークランド諸島』を奇襲でゲットしたけど、すぐにイギリスの艦隊が来るってか…」

イギリス「腐っても大英帝国だぞ!!さっさと降伏せんかい!!」

A「って感じで紛争が始まって、3か月で終わった。」

B「早っ!!で、どっちが勝ったの??」

A「イギリスだよ。だけど、アルゼンチン軍の抵抗が予想以上で両軍とも死傷者が1000名以上出た。」

B「てことは結局『フォークランド諸島』はイギリスのもので終わったんだね。」

A「まぁそういうことかな。」

B「あの…冒頭で言ったサッカーの話とかこれっぽっちも出てないんですけど…」

A「あぁ…あれはこの紛争が終わったあと、1986年のワールドカップの話だからな。紛争が起こったのは1982年だから。イングランド相手にマラドーナが『神の手ゴール』や『5人抜き』などでボッコボコにやつけてくれたから、アルゼンチン国民は熱狂したんだよ。」

B「マラドーナの人気ってそういう背景もあったんだね…いや、もちろんサッカー選手としてもすごいけど。」

A「まぁそういう一面もあるってことさ。」

B「なるほどね。あと一番最初に、イギリスへのデモがあった、とか言ってたのはこの紛争のことなんだ。」

A「そういうこと。ことしで30年目だからね。節目の年ってことで。それにイギリスも『ウイリアム王子』が『フォークランド諸島』に軍務で行くとか言ってるし。あと、石油も見つかったらしいしね。」

B「アルゼンチン側からすれば挑発されてるって感じるかもね。」

A「ということで『フォークランド紛争』についてはこんなところで!!それでは!!」​

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