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アラブの春について

 

 

A「ちょっと今更って感じがするのですが今回は『アラブの春』をやっていきます。」

 


B「確かに今更解説しても…って気がするんですけど。」

 


A「まぁ今だから分かることって言うのもあるし、ある程度終息して、これからの展望が見えてきたからってことで、このタイミングでやっちゃいます!!」

 


B「そもそもなんでこんなに各地で政変があったんだろう??」


A「『アラブの春』のきっかけとなったのがチュニジアです。」

 


B「どこだろう??」


A「下の地図をご覧ください。」






















 


B「地中海に面している国なんだね。」

 


A「そう。ここで失業中の『モハメド・ブアジジ』が街角で野菜や果物を販売したところ警察が販売の許可がないとして商品を没収しました。青年は役所に没収された商品を返してほしいと頼みますが、返してくれませんでした。このようなことがあって青年は抗議の意味を込めて焼身自殺をしました。」

B「焼身自殺か…」

A「これが原因で就職できない若者中心に、職の権利、発言の自由化、大統領周辺の腐敗の罰則などを求めていき、ついに『民主化デモ』が起きるようになりました。」

B「これがいつの出来事なの??」

A「2010年12月頃だよ。」

B「そしてこの騒ぎがどうなるの??」

A「焼身自殺した後の現場の映像を、彼のいとこが撮影して『フェイスブック』に投稿。また、『アルジャジーラ』の報道もあって『ベン・アリ大統領』に対する不満が爆発。結局『ベン・アリ』大統領が『サジアラビア』に亡命することになり革命は成功しました。この革命を『ジャスミン革命』と呼びます。ちなみに『ジャスミン』はチュニジアを代表する花です。」

B「たしか、フェイスブックやツイッターとかのSNSが大いに役に立ったんだっけ??」

A「そうみたいですね。デモの日時や革命の情報を共有できたみたいです。」

B「ていうか『ベン・アリ大統領』って結構あっさり退陣したんだね。」

A「これがのちの革命につながっていきます。」

B「次に革命が起こるのはエジプトだっけ??」

A「そうですよ。地図で場所を確認しよう。」
 


B「『チュニジア』の近くなんだね。」

A「まぁね。だから革命の火が燃え広がったんだね。」

B「なるほど…」

A「こうしてエジプト国民は『ジャスミン革命』と同じようにインターネットを使ったデモを繰り広げます。しかし、『ムバラク大統領』はエジプト国内からのアクセスを遮断。しかし、これが逆効果になり『ムバラク大統領』は失脚しました。」

B「『ムバラク』大統領は何年くらい政権にいたの??」

A「約30年ですね。最後は息子に地位を継がせたかったみたいですけど。」

B「ふ~ん。」

A「続いては『リビア』について見て行こう。ということで、まずは場所を確認。」
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

B「『リビア』って『チュニジア』と『エジプト』に挟まれてるんだ。そりゃ革命も起こるわ。」

A「『リビア』のトップは『カダフィ大佐』。なんと約40年も政権のトップでいました。」

B「すごいね。40年もトップにいるなんて。」

A「『リビア』の革命では激しい戦闘が繰り広げられました。しかし首都の『トリポリ』を落とされ『カダフィ大佐』は逃亡。出身地の『スルト市』で発見され、そのまま反体制派に殺されてしまいました。」

B「殺されたのか…」

A「一応形だけでも裁判をやらないと示しがつかないんだけど、末端の兵士には分からなかったんだろうね。」

B「そして次はどこなの??」

A「次が今回のメイン『シリア』です。」

B「いまだに戦闘が続いてるよね。それに日本人のジャーナリストも亡くなったし。」

A「まぁ、まずは地図で場所を確認な。」


 


B「いわゆる中東か。」

A「昔は『セレコウス朝シリア』っていう国があったけど、まぁその辺です。領土はだいぶ小さくなったけど。(ちなみにエジプトもチュニジアも昔は結構栄えていました。)」

B「で、そこで何が起きてるの??」

A「アラブ地域での一連の革命の影響でやはり『シリア』でも飛び火しました。1970年にクーデターで政権を奪取したのは今の『サダド大統領』の父でした。2000年に死去した際に現大統領になりそのまま現在でも大統領として君臨しています。」


B「ってことはだいたい40年くらいずっと『アサド一家』が政権を取っているんだね。」

A「まぁそういうことになります。そして反体制派を弾圧しています。その戦闘中に日本人のジャーナリストが政権側の軍人によって撃たれて殺されてしまいました。」

B「なんで『シリア』はまだ戦争が続いているの??」

A「まぁ早い話が『多国籍軍』が来ないからかな。」

B「え、でも確か『リビア』のときは来たよね!?『シリア』だとなんで来ないの!!」

A「『リビア』のときは確かに『多国籍軍』が来てそれで勝敗がつきました。この時は、きちんと国連安保理決議に基づいて行動できていたからです。」

B「今回は違うと。」

A「ロシアと中国が『拒否権』を使ったので『多国籍軍』を送ることが出来なくなりました。」

B「なんで『拒否権』使ったの??」

A「ロシアにとってシリアは武器を大量に買ってくれるお客さんだから。中国にとってシリアは経済分野で関係を深めているからです。」

B「やっぱり常任理事国って強力だね。」

A「でも、正直な話それがなくても『多国籍軍』は出なかったんじゃないかな。」

B「なぜに??」

A「それは…『シリア』には『石油』がないからです。」

B「そ、そんな理由で!?」

A「そう、そんな理由で。」

B「開いた口がふさがらない…」

A「まぁ戦争もビジネスですよ。金にならんことはしませんよ。軍隊自体なんて何も生み出さずに消費する一方だからね。」

B「で、これからの『シリア』はどうなっていくんだろう??」

A「正直な話分からん。でも、いったん火が付いてここまで盛り上がってるから、政権側が勝ったとしても、いろいろ立て直すのは難しいだろうね。大した産業もないし。」

B「そうか…まぁいずれにしても早く戦争が終わってほしいものだね。」

A「ちなみに今日取り上げたのは4つの国だけでしたが、『アラブの春』では他にも『バーレーン』『ヨルダン』『モロッコ』『イエメン』などで起こっており、それぞれ一定の成果を収めています。」

B「ということで今日はこの辺で。さようなら~」

A「はい、また次回!!」





久々にあとがき

なんかすごい長くなってしまいました。ワードで作ってますけど7ページ目に突入しています。なので、そろそろ切り上げようかなと。本当はもっともっと色々なこと書きたかったですが、今の時間が午前4時ということも考えて書ききれなかったことを、ここでさらっと書こうかなと思います。

チュニジアの『ベン・アリ大統領』やエジプトの『ムバラク大統領』、リビアの『カダフィ大佐』など、最初は国民の人気は非常に高かったのです。


『ベン・アリ大統領』は『国民主権』を掲げ実際に様々な改革をしてきました。政治犯の釈放や、拷問の禁止など、法治国家の建設を宣言するなどしてきました。そして大事な局面ではきちんと国民の信を問うため選挙も行っています。


そして圧倒的多数で再選してきました。2009年の大統領選挙でもそれは変わらず。しかし、長年、権力の座に座っていたので人事が硬直化したり政権内の腐敗が進行。それに若者の失業率の高さなどが相まって革命が発生しました。


『ムバラク大統領』は第4次中東戦争で『イスラエル』にダメージを与えることに成功して国民的英雄になります。政権を取ってからはずっと安定して政治をしていたので『現代のファラオ』と呼ばれていました。


しかし、チュニジアのときと同様に政権内の腐敗が進行し、革命が発生しました。


こうして革命が起こったわけですが『アラブの春』の革命は従来の革命とは違う点があります。それは、指導者がいないところです。


なので、自由に選挙が出来るようになっても誰に投票していいのか分からないのです。
チュニジアでは新しい内閣も外務大臣や財務大臣などがそのまま留任。議員はイスラム政党が第一党となっています。


また、エジプトでは『ムスリム同胞団』という組織の人が大統領になりました。議会でも第一党です。


彼らの主張は『イスラムの社会を目指す』ことです。
『民主化』を目指して始まった改革がいつの間にか変わってしまいました。


こうなるとイスラム法を尊重するということなので、女性の立場や教育の面など様々な制約が出てくることが予想されます。


また、『ムスリム同胞団』は穏健派のイスラム原理主義者ですが、パレスチナやレバノンにいる過激派組織『ハマス』や『ヒズボラ』も、もともとは『ムスリム同胞団』でした。


このように、革命後も様々な問題を抱えている各国。これから再び国際社会のステージに
上るためには、今までのシステムを大きく変えて富を国民に分配できる社会、女性が活躍できる社会、まぁいわゆる民主化ですね。これができるように頑張ってほしいです。


なお、地図の写真はウィキペディアから引用しました。





 

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